学術論文のオーサーシップについて
STAP細胞事件から3年余り、、、記憶が薄れてきましたが
理研や共同演者の保身や利権のために?(真相は闇に葬られたままですが...)
Natureに投稿し、採択された論文を取り下げられた事件によって
日本の科学研究は世界から取り残され、世界から見た日本の科学研究に対する信用力は間違いなく失墜してしまいました.
僕は学位も持っていないたただの研究者ですが、
学術論文はある程度書いているので、共同著者のオーサーシップについて考えてみたいと思います.
共同演者についての習慣的風習
研究室に属しているわけではないので、その風潮や習慣性までは存じませんが、
同じ仕事をして研究に関わった人やその直属の上司などを共同演者にしなくてはならないという風潮があります.
ぼくもその慣習に従って、
べつに学術論文に際して研究協力も査読もしていないような
職場の人や上司など
論文の書き方や、研究内容などわからない人まで
『そういうもんだと』
いわれたので共同演者や共同著者に名前を加えていました.
しかしながら、
オーサーシップについて投稿規定では、
- 研究の着想やデザイン、またはデーターの取得、またはデーターの分析と解釈
- 論文の執筆、あるいは原稿内容への重要な知的改訂
- 出版原稿への最終的な同意
これらのどれかを満たす人が共同演者という定義です.
これは、僕の研究レベルではなかなか難しい規定であり、
ほぼ自分ひとりで研究してデーターを取得している一般的な臨床研究者では、
3.の出版原稿への最終的な同意くらいしかあてはまらない....
これは、部門の責任者くらいか....
2.論文の執筆.あるいは原稿内容への重要な知的改訂
とあるので査読や助言くらいのレベルでは共著者には、なり得ないということです.
思い出してください
共同著者の誰もがSTAP細胞の作成方法を知らなかったことを...
また、医療業界で臨床研究の不正『バルサルタン事件』や
記憶に新しい『ディオバン事件』など不正論文が相次ぎました.
まあ、共同研究者なんてそんなもので、
その研究論文そのものを本質から理解している共同演者なんて
そのうち一人か二人くらいなものです.
むしろ共同著者なることは著者が良かれと思って
『お世話になった恩返し』的な想いも含まれるのですが、
危険性や恩を仇で返す毒のような要素も含まれているため、
利害関係や恩を返そうという感情や
研究室や会社内(病院内)での『贈り物』的な感情は排除して、
本質的に研究に携わった人のみ共同著者に名前を掲載(もちろん本人の許可は必要です)するのが最近の流れであり、
Sienceに投稿された
『Ending Honorary Authorship』
名誉のオーナーシップに終わりをなど、
名誉やギフトなどの共同著者は
一昔前の価値観とかわり、逆に迷惑なものとなっているのかもしれない.